安倍晋三元首相には
いろいろな顔がありました。
「人たらし」であり、
「芯のある政治家」でもある。
ときに「攻撃的」で、
野党や、報道メディアとたたかう
「闘士」の顔もありました。
筆者は「伝え方研究所」に入る前、
首相の毎日に密着する「番記者」、
そして、外交担当の記者として
1年以上、
安倍氏を間近で見つづけた経験があります。
ニュースからは
なかなか伝わりづらいですが、
安倍氏は、面と向かって接してみると
じつは人当たりのやわらかさを
感じる場面が多くありました。
そして、
とくに外交の場面では
誰よりも繊細なコミュニケーションを
心がけていた一面も。
今回は、そんな安倍氏の人柄を感じた、
印象的なコトバと
彼のコミュニケーションをふりかえります。
安倍氏が色紙によく書いていたコトバです。
「目先のことに
ふりまわされず、
堅い信念をつらぬく。
そうありたいと思っている」
首相当時、
官邸で筆をとり、
そんな意味をこめて書いていると
語っていました。
そのコトバを裏づけるかのように、
2012年にふたたび首相の座についてからは
国政選挙や
党の総裁選で勝ちつづけ、
「安倍1強」とよばれる盤石の体制を
築いた安倍氏。
第1次内閣をふくめた
在職日数は3188日にも上り、
戦前をふくめても
いちばん長く首相をつとめました。
「不動心」のコトバは
じつは、父の晋太郎さんが
好んで使っていたコトバでもあります。
どんな危機がおこっても、
動じない心を持ちつづける。
その心は、外務大臣として、
いくつもの厳しい局面を経験した
“父親ゆずりの精神”だったのです。
年齢でも父を超える。
残りの人生、あとは精いっぱいやるだけ」
安倍氏が
父親と同じ年齢になり、
そう語っていたのを
思い出します。
歴代最長の総理大臣ということもあり、
海外からも多くのコメントが寄せられました。
259の国や地域・機関から、
実に1700件以上もの
メッセージが届いたそうです
(7月11日時点)。
さらに
政治的には対立する場面が多かった
国々からもメッセージが届いたり、
半旗をかかげる国も多かったりと、
正直なところ、各国の反応は
筆者の想像をはるかにうわまわる
ものでした。
世界中をとびまわる外交を
「地球儀外交」と名づけ、
長期政権でなければ回りきれない
80もの国・地域へと
渡航をかさねた安倍氏。
今回の反応は
それだけ多くの国や地域から、
信頼や友好の気もちを寄せられていたことの
証とも言えそうです。
「外交の安倍」とも呼ばれた彼が語った
印象的なコトバがあります。
相手の立場をふかく知ること。
相手を思いやって
胸襟をひらいて接する姿勢を
心がけていた」
大前提として、外交は
それぞれの国や地域のリーダーが
自分たちの利益を
最優先に臨むものです。
「ゆずれない一線」があることは
どの国もおなじです。
さまざまな国のなかには
「ドライな外交交渉の場」と割りきってか、
自分の席を立たず
みずから話しかけることもない、
そんな首脳もいたと聞きます。
しかし、
安倍氏は、その逆でした。
あなたが大変なこともわかりますよ」
そんな姿勢で、
相手の立場を重んじつつ
同じ目線にたって、
こまやかな気づかいと
共感を示しながら伝える。
安倍氏は、そのことを
つよく意識していたと話しています。
ある意味で、欧米型の
「議論で打ち勝つ」スタイルとは逆を行く、
日本人がむかしから大切にしてきた
コミュニケーションの姿勢でもあります。
ゆずれない一線を保ちつつも、
共通点がないかを探るという
シビアな外交プロセスで、
こうした安倍氏の
「ソフトな人柄」が、結果に
多分に貢献した面があったことを
象徴するコトバです。
安倍氏の、そんな
「繊細なコミュニケーション」をめぐる
エピソードは、ほかにもあります。
人と人とのコミュニケーションを
研究する「伝え方研究所」として、
最後に、あるエピソードを紹介したいと思います。
安倍氏が、
アメリカ前大統領の
トランプ氏とはじめて会ったとき。
ゴルフ場を経営し、
大のゴルフ好きという
トランプ氏の「いちばん好きなこと」を想像し、
ゴルフクラブをプレゼントしたという逸話です。
トランプ氏といえば、
当時、自身の「横暴」とも取れる言動をめぐって
国際社会から批判がたえませんでした。
「そんなトランプ氏にたいして、
必要以上に細やかな対応をするとは、
いかがなものか」と
じつは国内外で
物議をかもした一件でもありました。
ずいぶん後になって
きいた話ですが、
じつは、こういうことだったそうです。
ただひとつの同盟国ですよね。
(安倍)総理は、
信頼関係をみせることが
日本をまもる抑止力につながると
考えた」
つまり、
かりに日本を攻撃しようとする
国があったとして、
世界一の軍事大国であるアメリカと
親密な関係をつくり、
その姿を世界中に発信することで
日本に何かがあったら
すぐにアメリカが飛んできそうだ」
と攻撃を思いとどまらせる
効果があると考えた
ということです。
大局的な文脈で
語られがちな外交の世界も、
やっぱり
相手の頭のなかを想像した
生身の人間同士のコミュニケーションが
たいせつな要素を占めている。
伝え方が結果を変えるのは、
どんな世界でも変わらない原則だ——。
そんな人のいとなみの原点を、
あらためて考えさせられたコトバでした。
さて、安倍氏は
を一貫してめざしていました。
一見、手の届かないような
高いところにある理念も、
その裏には、ひとつひとつの
地道な伝え方の研究があったことを感じた、
そんな安倍さんのコトバでした。
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「伝え方研究所」編集部
すぎなおき新聞社で首相の番記者などを経験したのち、伝え方研究所の立ち上げにジョイン。研究所がめざすコミュニケーション力のベースアップを支援している。趣味は、スナップ旅。
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